自閉症の息子と共に

自閉症の子どもを育てた父のエッセイ

ゴミ箱持って来て

 私が住んでいる地域では、月曜日と木曜日が燃えるゴミの収集日である。とある月曜日の朝、私はいつものようにピンクのゴミ袋に1階にある部屋のゴミを入れていた。

 そこに息子が2階から降りてきた。私は息子に、「ママの部屋からゴミ箱を持って来て」と、頼んだ。するとすぐに2階へ上がって行き、ゴミ箱を持って来てくれた。それも妻の部屋のゴミ箱だけでなく、娘の部屋のゴミ箱も気を利かせて持って来たのだ。

 私は凄いと思った。私でさえも娘の部屋のことは気にしていなかった。頼んだのは妻の部屋のゴミ箱のことであり、いっしょに娘の部屋のゴミ箱を確認し、持って来てくれるなんて想像もしていなかった。息子の成長を肌で感じたときであった。

 自閉症という障害は、発達障害の一つであり、言葉の障害や知能の遅れが特徴である。そして、他の人の気持ちを理解できないという特徴もあるが、このときは私の言っている言葉の意味を広く理解してくれたのだった。

大晦日の乾杯

 去年の大晦日の晩。私たちはいつものように「紅白歌合戦」を家族で楽しんでいた。そして、終了後いつものように「ゆく年くる年」をぼんやり観ていた。テレビの画面には各地からの映像が流れていた。あと、5分もすれば新しい年が始まるというときだった。

 息子が冷蔵庫からジンジャーエールの大きなペットボトルを取り出した。また食器棚からグラスを取り出し、みんなに配ったのだ。「え~?どうした?」と思っていたら、ジンジャーエールを注ぎだした。「あ~乾杯をしたいのか」と納得した。そして、新年のカウントダウンと共にみんなで乾杯し、新しい年を祝ったのである。

 そして、ふと気づいた。確かに一昨年の大晦日の晩、私がジュースを用意してみんなで乾杯したのだった。私がそれを完全に忘れていたが、息子は覚えていたのだった。新しい年を家族で祝うとき、とても幸せな気持ちになる。息子も同じ気持ちなのだろう。

 今年もあっと言う間に8月になってしまった。大晦日まであと4カ月。家族みんなで乾杯をすることを忘れないようにしよう。

会釈をした息子

 息子が中学一年生のときだった。秋に行われた運動会の昼休み。私は妻といっしょに校庭の日陰にピクニックシートを広げお弁当を出して、息子が来るのを待っていた。

 そこに小学校時代の校長先生がいらした。中学へ進学した生徒たちに会うため運動会へ来てくださったのだ。久しぶりに会う校長先生は、私たちがたんぽぽ学級だった息子の両親であることにすぐに気づいてくださり、しばらくお話をしていた。

 そこに息子がやって来たので、私は息子に「Kちゃん。校長先生だよ」と伝えた。すると息子は先生の顔をみて、軽く会釈をした。私は息子のそんな姿を見るのは初めてだった。こんにちは!と言葉を発することはできないが、ちゃんと敬意を示し校長先生に会釈をしてくれた。嬉しかった。私が息子の成長を実感した瞬間であった。いまでもその時の光景を鮮明に思い出すことができる大切な記憶である。

お給料日のたのしみ

 私の息子が働く生活介護事業所にも給料日がある。毎月25日がその日だ。お給料の額は4000円~5000円位である。彼らは労働をしてその対価としてお給料の頂いており、社会の一員として繋がっているのである。
 
 彼らの仕事の内容は地域新聞の配布とリモコンの掃除である。地域新聞というのは、千葉県を中心に無料で各家庭に配布されているフリーペーパーで、一部茨城県守谷市取手市、埼玉県の三郷市越谷市春日部市でも配布されている。(集合住宅には配布されない)

 地域新聞の発行日は毎週金曜日であり、翌週には彼らが取手の地区を一軒一軒個別に訪問し、ポストへ投函しているのである。また、それだけではない。配布するまえに、チラシの折り込みを手分けしてやっているのである。それも含めての作業である。

 つぎに、テレビやエアコンのリモコンを綺麗にする仕事である。テレビやエアコンは10数年使うと壊れるものであるが、リモコンは壊れない。そんなリモコンを業者の方が回収し、綺麗に掃除して中古品として販売するのである。そして、その掃除をするのが息子たちの仕事である。

 彼らは専用の洗浄液とタワシや綿棒、爪楊枝を使って巧みに掃除をする。テレビやエアコンのリモコンというものは10年以上も使っていると細かいところにも汚れがたまり、それはそれは汚いものである。ところが彼らが掃除をするとたちまち新品同様に綺麗になるのである。洗浄をすませ、綺麗になったリモコンを箱に詰めて、業者の方へ納品する息子の姿はとても嬉しそうに見える。

 そして、その両方の仕事の対価としていただいているお給料であるが、我が家ではそのお給料を持って帰ってくる日は、一つの儀式がある。みんなの前でそのお給料袋を開き、拍手をしながら息子に「お疲れさまでした」と労いの言葉をかけるのである。そして「Kちゃん凄い」とみんなで褒めて挙げるのである。2歳とし上の姉は専門学校へ行っていた頃、「私より先に社会へ出て稼いでいる。凄い。」と言い、昨年病院を退職し、しばらく無職だった妻は「私より稼いでいる」と褒めていた。もちろん受け取りのサインは、息子自身に書かせて、自分の力でお金を稼ぐ大切さと喜びを実感してもらっている。

 このような体験と喜びを頂いている生活介護事業所のスタッフの方々、また配布をさせて頂いている地域新聞社とリモコンの掃除をさせて頂いている関係者の方々に感謝もうしあげます。

おてつだい

 ちいさな子どもは、お手伝いが大好きだ。母親が炊事をしていると「お手伝いする」と言って何かをしたがる。「包丁は危ない」と言うと「猫の手でやる」と言って参加したがる。きっと、「ありがとう」と喜ぶ親の顔が見たいのかもしれない。そして、「いい子だね」と言われたいのかもしれない。これは4人の娘を育てた私の体験でもある。

 そして今、23歳になった息子もときどき家のことをやってくれる。夕方になると窓のシャッターを下ろしてくれたり、キッチンのシンクの中に置いてある鍋や食器を洗ってくれたり、食洗器の中の洗浄済の食器を食器棚へしまってくれたりする。それらはすべて自分で判断してやってくれている。特別支援学校の高等部へ通っていたころ、担任の先生方から「自分で仕事を探す」ということを教えられた成果であった。

 そんなとき、私は息子に心から「ありがとう」と言う。そしてその気持ちを表すために、ときどき最敬礼をして「ありがとう」と何度も言うのである。それを見て息子は「んん」と言葉にならない返事をする。特にニコリともしない。心のなかでは嬉しいのかもしれない。しかし、それはどうでもよい。私はとにかく心からの感謝を伝えたいのだ。それはなぜか。私にはひとつの忘れならない記憶がある。

 以前、テレビで見た光景だった。障害児を社員として受け入れている神奈川県のとある工場のドキュメントだった。近くの特別支援学校の先生が、どうか生徒を使って欲しいと社長さんにお願いして、試しに2名の生徒を採用していただいた。たしか短い期間だった。その2名の生徒さんは、毎日欠勤も遅刻もせずコツコツと仕事をこなした。職場の人たちも彼らの熱心さに心を奪われ、社長さんにあの二人を正式に採用して欲しいと嘆願したそうだ。そして、その二人は正式に社員として採用された。社長さんは知り合いの僧侶に尋ねた。「どうして、欠勤もせず、遅刻もせず、あんなにも仕事に集中できるのか」と。すると「人の喜びというものは、誰かに感謝されること、褒められること、頼りにされること。その3つである」とその僧侶は答えられた。私の心にもこの言葉が植え付けられたのである。そのドキュメンタリーとの出逢いがあり、私は息子に言葉だけでなく、最敬礼して感謝を伝えたいと思うのである。

 しかし、ときどき困ることもある。キッチンのシンクもきれいに洗ってくれるのだが、食器洗い用のスポンジでシンクを洗ったり、お風呂で体を洗うためのナイロンタオルで風呂の床を洗ったりするので、「え~それは違う」と叫びさくなる日もあるのである。

私の部屋入ったでしょう?

 ある日、娘が突然大きな声で怒り出した。「Kちゃん!私の部屋入ったでしょう?」
娘が留守にしている間、弟のKが勝手に姉の部屋に入ったことを怒っているのだ。2階にある娘の部屋は鍵がかからないドアなので、入ろうと思えば自由に入れる。しかし、女性としては、弟であろうと親であろうと留守の間に勝手に入られては迷惑だと思うのは当たり前のことである。

 しかし、私はどうして留守の間に、弟のKが入ったことが分かったのか疑問に思い尋ねてみた。すると娘は「本箱の本がきれいに整頓されている。」と答えた。つまり、乱雑に本箱に押し込められている漫画本がきれいに整理されて収まっているのである。これには納得した。たしかに、それはKの仕業であることは明白である。

 自閉症児はこのような習性のようなものがある。乱雑になっているものをきれいに整理整頓するのである。映画「サム」の中で、自閉症の主人公が砂糖の小袋をきれいにシュガーポットへ納めているシーンがあった。それを見て、あるあると納得したものだ。

 先日も、私の部屋にある本箱の周りに置いてあったはずの私の本が、急に姿を消した。
私は、お気に入りの本をすぐに読めるように手の届くところに置きっぱなしにする癖がある。あれ~と思い、本箱のフタを開くと案の定、きれいに並んでいた。そんな知恵がある息子の姿が嬉しく思われる出来事だった。

セレンディピティ

 私の息子が特別支援学校に在学していたとき、卒業後の進路のために幾つかの事業所で体験実習をさせていただいた。高等部2年生のときだった。はじめは就労Bとしての実習だった。3年生になり、2か所の事業所で実習をさせていただいたが、どうもそのレベルではないようだと気づきはじめた。

 その後、とある生活介護の事業所で実習をさせていただいた。これですぐに息子に適した事業所が見つかると安易に期待していたが、本人が納得してくれない。「ここでいい?」と聞くと、頭を小さく横に振り「んんん」と言葉にならない返事をする。しかたがないので、進路指導の先生からの情報を頼りに他にも2か所の事業所で実習をさせていただいたが、それでも納得できなかったようだ。年も明けてしまい、もしかしたら卒業後も探すことになるかもしれないと思い始めた。

 そんなとき、あるひとつの変化があった。「親なき後」というテーマのセミナーに参加する機会があった。このセミナーを主催している知り合いの方からのお誘いのチラシを頂いたのだ。障害をもった子どもの親はいつもこのテーマに向き合って生活をしているのかもしれない。私もいつかは考えなければならないときが来ると思っていたが、今後の参考になるかもしれないと思い参加してみた。

 セミナー当日、一番前の席に座ると、そこにはこのセミナーに誘っていただいた方が座っており、一緒に講師のお話を聴いた。そしてセミナー終了後、まだ進路が決まっていないと告げると、ある事業所を紹介していただいた。そこは、となりの茨城県にできた新しい事業所だった。さっそく翌日私は連絡を取り、その日のうちに訪問してサービス管理者の方にお会いすることができた。そして、実習を通して正式に内定を頂き卒業まぢかで進路先を決めることができたのである。

 振り返っていれば、あのときセミナーに参加して本当に良かったと思う。そして同時に私はこの体験を通じてセレンディピティという言葉を思い出す。このセレンディピティという言葉は日本語にはない。日本語に訳すならば、偶然の幸せという。また、もう少し分かりやすく説明するならば、偶然の出来事を自分の価値あることに変える能力と言い換えることができる。あの時のセミナーへのお誘いに対して、まだそんなことを考えるのは早いなと断っていたら、この新しい事業所との出逢いはなかった。自分の心のなかで、何かの声に呼ばれているような感覚で参加して、このチャンスを掴んだのである。

 私の息子は現在もそこの事業所で毎日楽しく過ごしている。私も妻もその事業所のスタッフの方々を100%信頼しており、応援してる。本当に良い事業所に出逢えたと思う。人生は人との出逢いの連続である。また、セレンディピティの連続であると思う。

 私は人生で大切なことが3つあると思う。それは、良い人との出逢い、良い仕事との出逢い、そして良い書物との出逢いである。