自閉症の息子と共に

自閉症の子どもを育てた父のエッセイ

自己紹介

 昭和生まれの私が小学校を卒業してから50年が過ぎた。現在、小学校で教える科目も様子が大分変っているようだ。たとえば、学校にはコンピュータルームがありコンピューターの使い方を教えてくれたり、学校によっては、全校生徒にiPadが貸与されて授業で活用されているようである。木造作りの小学校を卒業した私にとっては、驚きの連続である。今では世の中に国際化の風潮があり、小学生のうちから英会話を教えているようだ。

 私の息子が通っていた小学校も他校と同じように英会話の授業があり、外国人の先生が常駐していたようである。息子が在籍していた特別支援クラスでも英会話の授業が行われていて、ある日担任の先生から連絡帳で、あるひとつの報告があった。

 それは、息子が英語で自己紹介を上手にできたという内容だった。そして「日本語より英語の方が得意なの?」とコメントが付け加えられていた。確かに息子は自分から言葉を発することがないし、自分の気持ちを言葉で表現できないのに、英語で自己紹介するとは信じられないことだった。

 先日も、テレビでアメリカの漫画「スポンジ・ボブ」を英語で見ていたので「Kちゃん、イングリッシュ分かるの?」と聞いてみたら「うん」と、うなずいていたが本当かどうか怪しいものだ。

正義感

 私の息子はとても臆病である。特に小動物が嫌いだ。道端で猫が寝ていてもそこを通れない。怖いのである。お隣で犬を飼っているが、外に出るときはいつも両耳をふさいで聞こえないようにしている。鳴いていなくても耳を押さえる。道を歩いていても、遠くに犬の散歩を見つけると大回りして避けるようにしている。

 保育園児のとき、保育園に来た移動動物園のポニーの背中に乗ったこともあるが、いつの日か動物を怖がるようになった。22歳になった今もだめである。そのため、どこかに出かけるときは犬がいないか見張っているのは、父である私のほうである。こんな臆病者の息子であるが、ある日とんでもない行動をとってしまった。

 息子と一緒に買い物へ行った日のこと。買い物が終わってスーパーの屋上にある駐車場へ行くためにエレベーターに乗った。そこに居合わせたのは、20歳位の若い夫婦だった。ベビーカーには2歳位の女の子が座っており、アイスクリームを食べていた。ふと見るとその子のお父さんはTシャツを着ており、腕には刺青があった。ファッションタトゥーではなく立派な刺青だった。ヤバイところに出くわしたなと思いつつ、何も起こらないでくれと心のなかで小さく祈ったときに事件は起きてしまった。

 ベビーカーの女の子はとろけたアイスクリームで口の周りがビチャビチャだった。それを見て、そのお父さんは「だから食べさせたくなかったんだよ。車に乗せないからな」と強く云いながら、その子の頬を親指と中指でギュと挟んだのである。それを見て息子は「うるさい!うるさい!」と2回も云うのである。普段必要なときに自分の気持ちを言葉で発することが出来ないのに、不要なときに余計なことを云うなんて。私はとっさに「すみません。この子は知的障害があるんです」と謝り、いつも持っているアルコール脱脂綿を取り出し「これ使ってください」とそれを手渡した。2人はニコニコしながら「いいですよ」と返事をしてくださった。幸い2人とも優しそうな人たちだったのでほっとした。無抵抗な小さな子どもの頬をギュと挟んだ行為が赦せなかったのか、息子の正義感がそうさせたのだろうか。そんな息子の隠れた一面を見たような気がした。しかし、私は猫よりも刺青のお兄さんのほうが怖いと思うけどな。

子どもは親を選んで生まれてくる?

 息子は小学生だったとき、放課後子どもルームで過ごしていた。その子どもルームは同じ小学校の建物の一角にあるひときわ広い部屋だった。私は仕事帰りに毎日、息子を迎えに子どもルームへ寄っていた。

 ある日、その子どもルームの先生に「子供は親を選んで生まれてくるそうですね?」と
聞くと「やっぱりそうなの?」と聞き返された。私は「何かあったんですか?」と尋ねると、その先生は次のような話をして下さった。

 「うちには女の子が3人いるんだけど、三女が生まれたとき次女が3歳でこう云ったの『わたしたち3人は最初からこの家に生まれてくる予定だったの。でも本当は〇〇ちゃんが2番目だったのに、そのときいなかったから、わたしが2番目に来たの。だから本当はわたしが3番目だったの』」

 これには私もびっくりした。この話は今から10年位まえの出来事であり、子どもが親を選んで生まれてくるなんて、真剣に考えてもみないことだった。ただ、どこかで聞いたような、読んだような記憶があり、何気なくポロッと出た言葉だった。それが、なんとそんな体験をしている先生に聞いたのも何か運命を感じる。

 それから数年後、同じような体験を持つ親の記録をまとめた本に出逢うことになった。それもこのときの私の体験がそもそものきっかけであった。この体験をある知人に話したら「そういうことに興味があるの?いい本があるわよ。」と一冊の本*を紹介された。この本によって私の人生観はガラっと変わった。私はなぜ、あの親を選んだのかを考え始めた。酒癖が悪く、母親に暴力をふるい暴言を吐き、決して尊敬できる父親ではない。しかし、考え続け思いをはせているうちに答えを私なりに見つけることができた。そして、父親に対する接し方も最近変わってきたと自分で感じるようになった。

開けて

 私の息子は納豆が好きである。毎晩夕食のときに食べている。今では自分で冷蔵庫から取り出してフタを開け、箸でかき回し出汁を混ぜて食べている。

 小学校の頃、納豆を混ぜてご飯にのせるのは私がやってあげていた。そしていつの日か自分でできるようになっていた。しかし、中に入っている出汁の小さな袋は自分で開けられないので、私が開けて納豆に混ぜてあげていた。
 
 ある日、息子はいつものように納豆をかき混ぜていた。そして私はそのまま見ていた。出汁の袋をどうするか様子を見ていたのだ。息子は出汁の入った袋を私に差し出した。私はそれを受け取りながら、そういうときは「開けて」って言うんだよと伝えて袋を切って渡した。

 それから数日後、息子を迎えに子どもルームへ行ったとき、先生から今日あったことを説明された。おやつの時間みんなにお菓子が配られたそうだ。その先生の隣に息子が座っており、配られたお菓子の小さな袋を先生の前にそっと置いたらしい。先生は息子が何を要求しているかすぐに分かったが、わざと「何?」と尋ねたそうである。すると息子は「開けて」と小さな声で答えたそうである。息子は家での私のことばを理解して思い出し、ことばを発したのだった。

 このとき、息子はまだ小学校低学年だった。そして卒業する頃には、会話ができるようになるのだろうと私は思っていた。しかし、そうではなかった。22歳になる今でもことばを発することはほとんどない。必要に迫われて発したとしても一語だけである。それも場合によっては聞き取れないときもある。自分の意志が親に伝わらないことは息子にとってもストレスになっていると思うので、つい先回りして息子が何かを要求してくる前に行動してしまうのが親である。生活の中で息子が何を要求しているのか、全然分からないということはそんなに多くはない。まあまあ普通に生活している今日このごろである。

早くしろよ

 息子が保育園に通っていた頃、キッズカーを買ってあげた。長さ約80センチのウレタン製で屋根もついている。男の子はなぜか車が好きで、息子も2歳の頃からおもちゃの自動車に興味を示すようになった。このキッズカーを息子はたいへん気に入ってくれて、いつもリビングから玄関ホールに出て反対側にある和室へ入り一周してリビングに戻るコースを楽しんでいた。ペダルはなく、座った椅子の底が空いていて自分の足でまえに進むのである。また、ハンドルはついているが方向を変える機能はなく、前輪が自由に動くので行きたい方向に足で進むのである。

 ある日、いつものようにキッズカーでトコトコ遊んでいたときである。急に止まって「早くしろよ」と突然云うのである。それもはっきりとして口調である。私はびっくりした。こんな汚いことばをどこで覚えたんだろう。普段ことばを自由に発することもないのに、どこを見て何に反応しているのかさっぱり分からなかった。

 後日、息子と一緒に車で買い物に行った。息子は助手席に座っていた。道はすこし渋滞ぎみだった。ノロノロ走っていたので、私はつい「早くしろよ」と言ってしまった。あ!私ははっとした。息子が発した「早くしろよ」の出どころは私だったのだ。息子は聞いていないようで聞いているんだと実感した。日ごろから綺麗なことばを使うように気を付けようと反省するのであった。

マラソン大会

 冬になると小学校ではマラソン大会の行事がある。息子の学校は近くに住宅街や交通量の多い道路があった。そのため、走るコースはグランドのトラックをスタートした後、一度外の道に出てまたすぐに学校の正門から校舎のある敷地に入りグランドへ戻るというものだった。マラソン大会の当日、父兄は子どもたちの応援のためにそのコース脇で待っているのである。

 小学校の高学年にもなると部活動に参加している生徒も多く、大人顔負けの速さで走り続ける子もいる。沿道のお母さんたちは自分の子どもがいつ目の前を通り過ぎるのか、捜しながら応援をしている。

 ところが、私の息子の場合捜す必要はない。いつも一番ビリと決まっているのである。担任の先生と一緒にゆっくりニコニコしながら集団の一番後ろで走っているのである。すなわち、早く走って10番以内に入るとか、誰かと競うという意識を持っていないのである。

 マラソン大会に限ったことではない。秋の運動会の徒競走でもそうである。5人位が一斉にスタートするが、やはり息子はスタートに遅れ、ゆっくりゴールする。競争することに関心がないのだ。

 しかし、いいこともあった。遅れて走る息子に向けて「k君頑張ってください」と本部席から応援の声がスピーカーに流れたのだ。私はみんなが息子に注目してくれているのを知ってとても嬉しかった。特別支援学級がある学校では、学校ぐるみで障害を持つ子どもたちを見守ってくれているんだと実感した。みんな、ありがとう!

じゃんけん

 日本人ならだれでも知っているじゃんけん。じゃんけんは片手で石、ハサミ、紙の形を作り、それを誰かと出し合って勝負をするあそびである。人はいつの頃からかこのじゃんけんをあそびのなかで覚えて自由に使うようになる。じゃんけんをするには相手が必要である。つまり、幼稚園などの集団生活をするようになるとじゃんけんを覚えるようになるのだろうと思う。

 しかし、じゃんけんはかなり高等な脳の働きが必要な動作だと思う。相手に勝つために、グー・チョキ・パーのどれを使うかを一瞬で決め、それを脳から手に情報を伝える。同時に「じゃんけんぽん」と声に出す。しかも、相手の声に合わせて自分の声を発するのである。そして相手が出した手の形を見て、自分が勝ったのか負けたのか一瞬で判断し、あいこなら次に何を出すかそこでまた一瞬で決めなければならない。しかも相手が次に何を出すかを予想しながら、自分の次の一手をこれまた一瞬で決めて脳から手に命令を出すのである。

 この複雑な動作をいとも簡単に我々は日々の生活でやっているが、私の息子はいまだにこのじゃんけんを理解していない。そういえば、保育園や子供ルームの先生方からも息子がじゃんけんを理解していないとの報告がたびたびされていた。自閉症である息子の知的能力が幼稚園程度とずっと思っていたが、これに関してはそこまでないことが分かる。

 ある日、姉(四女)とテレビのチャンネル争いになった。どこの家庭でもよくある光景である。おたがいに見たい番組が違うのだ。姉は「じゃあ、じゃんけんしよう」と云ってじゃんけんをした。当然姉が勝った。息子はじゃんけんを理解できず、必ずグーを出すと決まっているのだ。しかも彼女はそれを知っているはずだ。

 ところがその後の展開がおもしろい。姉がリモコンを手に取り、好きな番組を見ようとすると息子は納得できずに「ん~ん!」と云いながら手の平を差し出し、手をひらひらさせるのだ。これは自閉症児の独特の行動なのか、息子の独特の行動なのか分からない。しかし、言葉で気持ちを伝えられないので「ん~」と声を発し、あたかも「リモコンよこせ~」と云わんばかりにこの手の平をひらひらさせる行動にでたのである。姉は仕方なく「もういいいよ」と云ってあきらめてチャンネルを渡してしまった。

 この手をひらひらさせる行為が、グー・チョキ・パーよりも強いジョーカーのような役目があるのだと気づかされた出来事だった。