自閉症の息子と共に

自閉症の子どもを育てた父のエッセイ

名前のファイル

 私の息子は中学卒業後、特別支援学校高等部へ進学した。入学式が終わって初日の連絡帳に担任の先生からメッセージがあった。

 「息子さんは靴に興味があるんですね。下駄箱をずっとみていました」
私は連絡帳に返事をかいた。
 「興味があるのは靴ではなく名前です。下駄箱に書いてある名前を見ているのです。息子が持っているファイルを見てください」
先生の返事はこうだった。
「ファイルを見ました。名前がびっしり書いてありました。しかも卒業生の名前もありました」

 息子はいつの頃からか、人の名前に興味を持つようになった。名前が漢字の集合体だからなのか、それが一つのロゴマークのように見えるのか、理由はよく分からない。彼はA4のコピー用紙に誰かの名前をびっしり書きつづり、ファイルに入れて持ち歩いている。しかも、多くの名前を羅列しているのではなく、何かのグループごとに書かれているようである。フリーハンドでまっすぐな線で枠を書き、分類しているのである。それもとても綺麗な字体である。明朝体でもなく、隷書体でもない彼独特のフォントなのである。書いては消して書いては消して、沢山の名前をコレクションしており、まさにデータベースのようだ。
そこには友だちの名前も私たち家族の名前もある。「〇〇君の名前はどこ?」と尋ねると、ページをパラパラめくり、的確にその場所を指さすのである。

 また、何かの名前の名簿を見つけると嬉しそうにそれを見ている。中学生のとき、関東地区にある特別支援学校の生徒が参加するフットサルの大会があり、それに参加したことがある。参加者に配られた資料には参加者の名簿があり、嬉しそうに眺めていた。彼にとってはお宝である。それぞれの特別支援学校ごとに一人ひとりの名前が彼のデータベースに書き加えられた。

 そんなに名前に興味があるのなら、戦国時代の武将や徳川幕府の歴代の将軍の名前にも関心を持つだろうと、日本史1200人の本を見せたが特に関心を示さなかった。何が違うのか良く分からないが、子どもというのは親の思惑どおりにはいかないものだと感じた。

地図がだいすき

 息子が好きな物の一つに、地図がある。保育園児の頃、家にあったロードマップを見るようになった。はじめはロードマップにあるガソリンスタンドやコンビニのマークに興味を示し、そのロゴマークを正確に白い紙に写して楽しんでいた。

 小学生になり、社会科の授業で習ったのだろうか、都道府県名と県庁所在地をすべて覚えてしまった。たとえば、大分県岐阜県など、大抵の場合そのシルエットだけを見せられても私には分からない。しかし、息子はそれでも正確に答えられるのである。

 ある日、その才能を親学級*で披露することになった。次々と県名と県庁所在地を答えてゆく息子を見て、生徒たちは「凄い!」と声を挙げたそうである。

 息子は数字を読めるが、その概念が分からない。「5」という数字は読めるが、「スプーン5本持って来て」と言っても理解できない。しかし、地図などの映像で見えるものは、その形や位置を理解して覚えているようだ。

 発達障害というものは、すべての分野において遅れているのではなく、ときには驚くような発見があるものだと思う。焦らず子どもの成長を見守ろう。


*親学級: 知的障害や学習障害などを持った生徒は、特別支援学級で学習するが、給食や体育などの時間に交流を持つため、同時に健常者のクラスにも所属している。

国旗がだいすき

 私の息子は保育園児のとき、国旗に興味を示した。保育園の運動会で運動場に張り巡らされたさまざまな国旗を見て、心惹かれたのだろう。

 ある日、家で国旗を紙に描きはじめた。そして、描いた数枚の国旗をセロハンテープでひもに付けて、椅子の背もたれに固定した。この子は運動会を思い出しているんだと気づき、部屋の壁から壁へとロープを渡し、それらの国旗を付けてあげた。国旗をしたから見上げて息子は満足そうだった。

 小学生になると息子は放課後、子どもルームで過ごすようになった。偶然にも、そこには世界中の国旗を紹介している本が蔵書の中にあり、それを見ているうちにすべての国旗を覚えてしまった。とくに驚いたのは南太平洋の小さな島々やアフリカの国々の国旗などもすべて国名と共に覚えていたのだ。自由に会話もできずに、言葉も発することができないのに、国旗を見せて、どこの国ですかと尋ねると、はっきりとした声で答えるのである。それも親が聞いたこともない国名で、そんな国あるのと、聞き返すほどの国で、生涯絶対に行くことはないであろうと思わせる国々であった。

 学校であった発表会では、黒板の前に立ち、指示棒をにぎり、一枚一枚の国旗を指して、国名を声に出して説明していった。家では見ることがないような、息子の姿であった。こんなことが、出来るようになったんだな~と感心するのであった。
 

記憶力

 一般にいわれていることではあるが、知的障害を持っている人は、ときに特殊能力を持っている場合があるようだ。アメリカのある青年は、ヘリコプターで東京の上空を一度飛んだだけで、目で見た風景を記憶し、地上に戻りその風景を正確に絵に描くことができる。立ち並ぶ高層ビルや東京タワーなどをパノラマのようにサインペン1本で正確に描くのである。しかも、その建物の位置も正確であり、人間の能力を超えた、まさに神技である。私の息子には、そんな凄い技はない。しかし、ときどき親をびっくりさせることもある。

 小学2年生のとき、下駄箱の前でじっと立って何かを見ていた。1年生の下駄箱である。その時点では何に興味があるのか分からなかった。息子は家に帰り、白いA4の紙に下駄箱の絵を正確に描いた。そしてそのとき、下駄箱に書かれている一人ひとりの名前も書いていたのである。まさかと思い翌日学校へ行った際、その下駄箱の名前を確認したら、名前も正確だった。どうやら、この子は映像としてその風景を記憶しているようだった。

 そういえば、保育園児の頃、この子は漢字に興味があり、教えていないのに「つり具 上州屋」や「肉の万世」の看板の文字を移動中の車の中から見て覚えてしまい、紙に書いていた。特に、「万世」と万の字の二画目が看板の通り、三画目のノの左側へ突き出ているのだ。ここまで正確に再現して書くなんて、本当に驚かされた。さすがに、にやけた牛の顔は描かなかったが、たまにはステーキでも食べさせろというメッセージだったのだろうか。

 

F君との出会い

 ある日、仕事帰りに息子を保育園へ迎えに行ったときのことだ。保育園の入り口の門から教室へ向かっていたそのとき、砂場で遊んでいた一人の男の子が、私に砂をぶつけてきた。ふいの出来事に私はおどろき「こら~!」と怒鳴った。この男の子はわざとやったのだ。「あやまれ!」と私はさらに大きな声で怒鳴った。男の子は少しハニカミながら「ごめんなさい」と返事をした。そのとき、すぐ傍にいたN先生の目から涙がこぼれた。私はそれを見てすべてを悟った。

 「この子、うちの子と同じですか?」
 N先生は私を見てゆっくりうなずかれた。
 「今、会話になってましたよね?」
 私の怒りは吹き飛んだ。砂をぶつけられたことなど、どうでもよくなった。それより、この子との間で会話が成立したことの方が嬉しかったのである。これがF君との最初の出会いであった。

 自閉症という障害は、脳の発達障害である。人それぞれ症状にちがいがある。人とのコミュニケーションが困難なケースや、他人の気持ちが理解できないケースもある。また、人に関心がなく、背中や肩をトントンとたたいても、振り向くこともない。自分が呼ばれていると理解できないのだ。

 保育園では、何かの障害をもっている子供に対し、一人の先生がいつも付きっきりでお世話をしている。N先生もF君を入園以来ずっとお世話をしてきた方である。このF君もふだん言葉を発することがなかったようだ。そして今日はじめてF君の言葉を聞いたようだ。それが涙の訳であったのだ。

 この出来事がきっかけで私はF君のお母さんとの交流も始まった。F君の出産後の話も聞けた。お母さんは、F君が障害を持っていると知ったとき、ショックで自殺も考えたと涙ながらにお話しして下さった。

 「そんなこと考えてはいけません!F君はお母さんを親として選んで生まれて来たんですよ!」と私はつい力説してしまった。

 F君は2歳年上の男の子で、私の息子と同じように保育園に通っている娘(四女)と同じクラスだった。また、小学校も同じだったので、F君の成長を小学校卒業までみることができた。

 私の息子は小学校卒業後、地元の中学へ進学した。中学では「あおぞら学級」という特別支援クラスだった。放課後は部活動に参加するほどの知的能力がないので、放課後デイ*を利用していた。最初に利用していた放課後デイは家から遠いところにあり、中学1年の一学期だけの利用であった。私は仕事帰りに息子を迎えにその放課後デイに行っていた。そこであのF君に再会したのであった。F君は私を覚えていてくれて、私の顔を見るとニコニコしながら近寄って来た。そして、私の肩をなんどもなんども叩くのである。それが彼の愛情表現だった。しかし、彼は私よりも背が高くなり、力も強くなっていたので、とても痛かった。今では懐かしい思い出である。

* 放課後デイサービス:社会福祉法人NPO法人が運営している福祉施設。小学校や中学、高校の放課後に障害をもつ生徒が通う療育施設。

お風呂はひとりで

 息子とは、小さなときからずっと一緒にお風呂に入っていた。これは、どの家庭でもそうだと思う。普通、中学生になると思春期を迎え、親離れをしはじめ、一人でお風呂に入るようになる。私もそうだった。

 しかし息子はそうではなかった。一人で入るのが怖かったようだ。小学生の頃は浴槽の水が怖いので、私の膝の上にちょこんと座った。体は自分で洗えないので、私が洗ってあげた。ところが中学生になっても水が怖いのか、私の膝の上に座っていた。体も大きくなりちっと大変だった。高校になる頃は、さすがに浴槽に二人同時には入れないので、代わる代わる交代で入った。やはり、一人で浴室に入るのが怖いのか、私がお風呂に入ろうとすると、その気配を感じて追いかけるように浴室に入ってきた。そのような行動は20歳まで続いた。

 ところがある夜、息子の姿が見えない。「あれ~?Kちゃんがいない!」1階の和室にも、2階の部屋にもいない。ふと見ると浴室の明かりがついていた。誰かが入っている。確認すると息子が一人で入っていた。こんなことは初めてだった。

「あー!kちゃん一人でお風呂入っている!凄い!」
 私はびっくりして妻や娘に伝えた。すると娘が
「20歳になって、一人でお風呂に入っただけで褒められるなんて、羨ましいな~」
 と、笑いながら云うのであった。

 確かにそうだ。もう20歳なのだ。しかし、このような少しの変化でも親には喜びである。私も少し楽になった。

ひとりごと

 私の息子はよく、ひとりごとを云う。普通ひとりごとは、何かを考えながらボソボソと云うものである。しかし、この子の場合は、かなりはっきりとした声で発する。そのため、とつぜん何かを話始めると、それを聞いた周りの人は驚いてしまう。自分の気持ちは、言葉で言い表せないのに、不必要なときに自分の意志とは別に、色々な記憶が映像として彼の脳裏に浮かび、ひとりごととして言葉に出てしまうようだ。

 ある日、保育園の先生に
 「k君、お姉さんだけでしたよね?このあいだ『にいさん』と云ってましたけど」と、園内での様子を伝えていただいた。この『にいさん』という言葉は、アニメ「鋼の錬金術師」の中で、弟のアルフォンスが兄、エドワードを呼ぶときのセリフである。先生にそのように説明して納得していただけた。

 また、同じアニメの中、エドワードのセリフで「クソおやじ」というのがある。この子はこのセリフを気に入ってしまったのか、ニヤニヤしながら「ク・ソ・オ・ヤ・ジ」と、この言葉を発することがある。これを聞いた次女が驚いて、「そんなこと、パパの前で絶対言ってはダメだよ!」と強く注意していた。

 息子がこの言葉を発するとき、その場面を思い出しながらニヤニヤと、ひとりごとを云うので気にならない。それよりも、この「クソおやじ」という意味を理解しているんだと、私は感心してしまうのである。