自閉症の息子と共に

自閉症の子どもを育てた父のエッセイ

F君との出会い

 ある日、仕事帰りに息子を保育園へ迎えに行ったときのことだ。保育園の入り口の門から教室へ向かっていたそのとき、砂場で遊んでいた一人の男の子が、私に砂をぶつけてきた。ふいの出来事に私はおどろき「こら~!」と怒鳴った。この男の子はわざとやったのだ。「あやまれ!」と私はさらに大きな声で怒鳴った。男の子は少しハニカミながら「ごめんなさい」と返事をした。そのとき、すぐ傍にいたN先生の目から涙がこぼれた。私はそれを見てすべてを悟った。

 「この子、うちの子と同じですか?」
 N先生は私を見てゆっくりうなずかれた。
 「今、会話になってましたよね?」
 私の怒りは吹き飛んだ。砂をぶつけられたことなど、どうでもよくなった。それより、この子との間で会話が成立したことの方が嬉しかったのである。これがF君との最初の出会いであった。

 自閉症という障害は、脳の発達障害である。人それぞれ症状にちがいがある。人とのコミュニケーションが困難なケースや、他人の気持ちが理解できないケースもある。また、人に関心がなく、背中や肩をトントンとたたいても、振り向くこともない。自分が呼ばれていると理解できないのだ。

 保育園では、何かの障害をもっている子供に対し、一人の先生がいつも付きっきりでお世話をしている。N先生もF君を入園以来ずっとお世話をしてきた方である。このF君もふだん言葉を発することがなかったようだ。そして今日はじめてF君の言葉を聞いたようだ。それが涙の訳であったのだ。

 この出来事がきっかけで私はF君のお母さんとの交流も始まった。F君の出産後の話も聞けた。お母さんは、F君が障害を持っていると知ったとき、ショックで自殺も考えたと涙ながらにお話しして下さった。

 「そんなこと考えてはいけません!F君はお母さんを親として選んで生まれて来たんですよ!」と私はつい力説してしまった。

 F君は2歳年上の男の子で、私の息子と同じように保育園に通っている娘(四女)と同じクラスだった。また、小学校も同じだったので、F君の成長を小学校卒業までみることができた。

 私の息子は小学校卒業後、地元の中学へ進学した。中学では「あおぞら学級」という特別支援クラスだった。放課後は部活動に参加するほどの知的能力がないので、放課後デイ*を利用していた。最初に利用していた放課後デイは家から遠いところにあり、中学1年の一学期だけの利用であった。私は仕事帰りに息子を迎えにその放課後デイに行っていた。そこであのF君に再会したのであった。F君は私を覚えていてくれて、私の顔を見るとニコニコしながら近寄って来た。そして、私の肩をなんどもなんども叩くのである。それが彼の愛情表現だった。しかし、彼は私よりも背が高くなり、力も強くなっていたので、とても痛かった。今では懐かしい思い出である。

* 放課後デイサービス:社会福祉法人NPO法人が運営している福祉施設。小学校や中学、高校の放課後に障害をもつ生徒が通う療育施設。