自閉症の息子と共に

自閉症の子どもを育てた父のエッセイ

セレンディピティ

 私の息子が特別支援学校に在学していたとき、卒業後の進路のために幾つかの事業所で体験実習をさせていただいた。高等部2年生のときだった。はじめは就労Bとしての実習だった。3年生になり、2か所の事業所で実習をさせていただいたが、どうもそのレベルではないようだと気づきはじめた。

 その後、とある生活介護の事業所で実習をさせていただいた。これですぐに息子に適した事業所が見つかると安易に期待していたが、本人が納得してくれない。「ここでいい?」と聞くと、頭を小さく横に振り「んんん」と言葉にならない返事をする。しかたがないので、進路指導の先生からの情報を頼りに他にも2か所の事業所で実習をさせていただいたが、それでも納得できなかったようだ。年も明けてしまい、もしかしたら卒業後も探すことになるかもしれないと思い始めた。

 そんなとき、あるひとつの変化があった。「親なき後」というテーマのセミナーに参加する機会があった。このセミナーを主催している知り合いの方からのお誘いのチラシを頂いたのだ。障害をもった子どもの親はいつもこのテーマに向き合って生活をしているのかもしれない。私もいつかは考えなければならないときが来ると思っていたが、今後の参考になるかもしれないと思い参加してみた。

 セミナー当日、一番前の席に座ると、そこにはこのセミナーに誘っていただいた方が座っており、一緒に講師のお話を聴いた。そしてセミナー終了後、まだ進路が決まっていないと告げると、ある事業所を紹介していただいた。そこは、となりの茨城県にできた新しい事業所だった。さっそく翌日私は連絡を取り、その日のうちに訪問してサービス管理者の方にお会いすることができた。そして、実習を通して正式に内定を頂き卒業まぢかで進路先を決めることができたのである。

 振り返っていれば、あのときセミナーに参加して本当に良かったと思う。そして同時に私はこの体験を通じてセレンディピティという言葉を思い出す。このセレンディピティという言葉は日本語にはない。日本語に訳すならば、偶然の幸せという。また、もう少し分かりやすく説明するならば、偶然の出来事を自分の価値あることに変える能力と言い換えることができる。あの時のセミナーへのお誘いに対して、まだそんなことを考えるのは早いなと断っていたら、この新しい事業所との出逢いはなかった。自分の心のなかで、何かの声に呼ばれているような感覚で参加して、このチャンスを掴んだのである。

 私の息子は現在もそこの事業所で毎日楽しく過ごしている。私も妻もその事業所のスタッフの方々を100%信頼しており、応援してる。本当に良い事業所に出逢えたと思う。人生は人との出逢いの連続である。また、セレンディピティの連続であると思う。

 私は人生で大切なことが3つあると思う。それは、良い人との出逢い、良い仕事との出逢い、そして良い書物との出逢いである。